月
07
6月
2010
近年の児童書に見られる「主人公のお姫さま化」について
以前、ゆーずー無碍さんのブログで「ライトノベル化する児童文学」という記事が立てられ、話題になりました。
新書サイズ児童書の分野で、マンガ・アニメ系のイラストを起用した「ライトノベル風」の作品が数多く刊行され出したといった内容のものです。
近年では完全に定着したように思われるこの流れですが、記事のなかで問題とされていたのは、下記の三点。
・一体いつ頃からこの変化がはじまったのか?
・この傾向は、単にイラストを今風に合わせただけなのか?内容は?
・どういった出版社が動いているのか?
そのうち上下の疑問に関しては2004年ごろを契機に「青い鳥文庫」や「フォア文庫」といった老舗レーベルが牽引役となり、他の出版社がその流れに追随したと記事でまとめられています。
が、作品内容については、「皆様が実際に読んでみて判断してください」という記述に留められていました。
では実際、作品内容に変化はあったのでしょうか?
記事のなかで、ライトノベル化した作品として真っ先にあげられ、現在でもトップの人気作であるのが、「妖界ナビ・ルナ」「若おかみは小学生!」「黒魔女さんが通る!!」の三作品であることは異論がないところでしょう。
これらの作品は、イラストとキャラクター設定がマンガ・アニメ的な「キャラクター小説=ライトノベル」と形容できる作風であることはもちろんのこと、そのほかにもう一つ、それまでの児童文学とはおもむきの違う「ライトノベル的」と言える特徴を指摘できます。
児童文学のひとつの潮流として、かつての少年探偵、ズッコケシリーズのように「みんなで一緒に事件をする」という作劇は、ながらくエンタメ児童書のトレンドであり続け人気を博してきました。
実際、ライトノベル化黎明期の青い鳥文庫やフォア文庫でも、「タイムスリップ探偵団」や「マリア探偵社」などの作品ではこの構造を採用していますし、同一構造の作品は現在でも数多く存在します。
が、近年特に人気を得ている「ナビ・ルナ」、「若おかみ」、「黒魔女さん」ではそれらの作品とは異なり、「事件を解決する私をみんなが助けてくれる」という構造が採られているのです。
上記の三作品では、
主人公の女の子に人外の友だちが複数人いて、さまざまな理由で主人公だけを特別扱いする
このような特権的な位置に主人公が置かれる、という共通の特徴があります。
かつての児童文学作品では、友だち同士で協力し合うことはあっても、お互いの関係性は横並びで「主人公だけ特別に周りからちやほやされる」という構図はあまり見当たりません。
これが私が呼ぶところの、児童書における「主人公のお姫さま化」という状況になります。
実はこの構図、ライトノベルでは定番の「主人公とヒロインの関係」に酷似しています。
ナビ・ルナあたりのヒットを起点に、児童書がライトノベル化したと言われていますが、構造レベルでもこういう図式をもった児童書が増え、より支持を受けているように感じられます。
つまり、「みんなで一緒に」から「友だちを独占したい」に児童書のトレンドに変化が生じたんじゃないかと考えられるわけです。
加えて、「お姫さま化」した作品には、その構図の裏返しとして、
友だちが自分以外の人間に関心を示したときや、自分から関心が離れたとき、主人公が焦燥感を抱く
というエピソードがまま見受けられます。
若おかみの場合、物語序盤のウリ坊は主人公であるおっこより、おばあちゃんである峰子ちゃんの方が大事であるような描かれ方がされていて、「ウリ坊にとって自分は二番目」という状況を、おっこは事あるごとに気にかけていました。
また、「黒魔女さんのシンデレラ」の回、四級試験の最中、悪魔情に渡された手紙でギュービットが自分のインストラクターを外されたと知ったチョコは、カボチャを蹴飛ばすほど周囲にあたりちらし、ギュービットが自分のインストラクターをやめないと知るや、涙を流して大喜びします。
さらに、「お姫さま化」とは異なりますが、これらの作品に次ぐヒット作の「IQ探偵ムー」でも、視点人物である元は、ヒロイン夢羽の関心がだれにむけられているかで一喜一憂します。
おっこと元の場合は、恋愛感情がほのめかされていますが、読者の視点に立って考えれば、「友だちには私だけをみてほしい」という願望が投影されているんじゃないかと推測できます。
それが証拠ではありませんが、ナビ・ルナシリーズと同じ池田先生の作品に「摩訶不思議ネコ・ムスビ」シリーズがあります。
本作の一巻でも、「友だちの関心が自分以外に向いている」ことで不快感を示す、というエピソードが描かれていますが、そのことを問題にしていたのは主人公であるいつみではなく、友だちの莉々の側だったりします。
ムスビシリーズは、キャラクター配置こそナビ・ルナと似ていますが、読者の願望充足という観点でみると、「お姫さま化」やそれにともなう「友だちの独占」という欲求には応えていない節があります。
以前、青い鳥文庫で行われた人気投票で、本作はそれほど上位にランキングされていなかった記憶がありますが、ポイントはやはり「読者の願望の在り処」にあったんじゃないでしょうか。
それでは、なぜ読者の関心がこのように変化したのか?
理由はさまざま考えられますが、異なるジャンル、違った読者層にも関わらず、ライトノベルと児童書で「同じ構造を持った作品」が受けているわけですから、やはり時代的な影響が大きいんじゃないかと推測できます。
現在の若者は友だち同士の繋がりを気にして関係性が強迫的になり、コミュニケーションが大きな関心事であるという話は良く聞きます。
であれば、主人公が特別扱いされ、周りにちやほやされるような作品に心地よさを感じるというのは、そのような現実の裏返しとして、道理に適っているように思います。また、小説という媒体に接する読者には、嗜好に何らかの共通性があるとも考えられます。
これが「お姫さま化」した作品が現在の児童書読者に支持される理由なんじゃないでしょうか。
つまるところ、児童書における「お姫さま化=ライトノベル化」の本質とは、イラストとキャラクター設定以上に、他者や周囲との関係の描き方なんじゃないかと、これらの状況から窺えるわけです。
(すがり)


