評論・その他
金
27
8月
2010
今年で終了、赤い鳥3賞
児童書の文学賞ってどんなのがあるの? どこから、どんな作家が出てきているんだろう、と常々気になっていたので、ここで少しずつ調べていこうと思います。
始めたところで、いきなり終わる話になりますが、児童書の代表的な文学賞、「赤い鳥3賞」が今年で終了、とのこと。鈴木三重吉が始めた児童雑誌「赤い鳥」をルーツに誕生した「赤い鳥文学賞」は40回、「赤い鳥さし絵賞」が24回、「ごんぎつね」で著名な新美南吉にちなんだ「新美南吉児童文学賞」は28回で、その幕を閉じました。
「赤い鳥文学賞」第1回受賞作は、椋鳩十「マヤの一生」、松谷みよ子「モモちゃんとアカネ」。1971年のことですが、今となっては大御所へのダブル授賞で、当時の児童文学の隆盛ぶりが感じられます。その後も、第4回舟崎克彦「ぽっぺん先生と帰らずの沼」、第8回宮川ひろ「夜のかげぼうし」、第13回いぬいとみこ「山んば見習いのむすめ、第18回岡田淳「扉のむこうの物語」、第27回萩原規子「薄紅天女」など、錚々たる作家が授賞しています。ただ2000年代以降の受賞作家に、少しなじみが薄いような気がしますが…
一方、新美南吉児童文学賞は、1983年から始まり第1回は、北川幸比古「むずかしい本」、佐野洋子「わたしが妹だったとき」の2作授賞第8回石井睦美「五月のはじめ、日曜日の朝」、第13回梨木香歩「西の魔女が死んだ」、第15回富安陽子「小さなスズナ姫」、第18回花形みつる「サイテーなあいつ」、22回小森香折「ニコルの塔」など、今の主流の書き手を輩出してきた、という印象があります。
最後の授賞となったのは、赤い鳥文学賞が岩崎京子「建具職人の千太郎」、新美南吉賞が三輪裕子「優しい音」でした。「建具職人〜」は、江戸時代を舞台に、建具屋に奉公に出された少年が職人をめざす成長物語。この夏の課題図書にもなっていましたね。
「優しい音」は、機会があって読んでみました。ちょっとしたきっかけで仲間はずれにされた女子中学生が、顔のわからない相手とのメールに励まされて勇気をもらい、積極的になっていく、という、タイトルどおり、優しいお話でした。
課題図書と、優しいお話。確かに授賞に値する作品なのでしょうが、読み手側の子どもに、今どう伝わっているのか。それは賞の終了とも関わっているのでは、と思ってしまうのでした。
(神谷巻尾)
火
13
7月
2010
電子書籍『ライトノベル化する児童文学』
teensbooks発の電子書籍が出来ました。
サイトを通じてつながりのできた、ゆーずー無碍さん、yamada5さん、すがりさんによる『ライトノベル化する児童文学』です。ブログやサイトで発表された文章に、大幅に加筆修正、ゼロ年代から現在にいたる、新しい児童書の流れが俯瞰できる内容になっています。
第1章 ライトノベル化する児童文学 ゆーずー無碍
第2章 ゼロ年代の児童文学——ライトノベル化のルーツを探る yamada5
第3章 近年の児童書に見られる「主人公のお姫さま化」について すがり
こちらは世界初の電子書籍のフリーマーケット「電書フリマ」で販売されます。「デジタルでバーチャルな電書をアナログでリアルな対面販売で楽しむ」という面白い場での販売となります。東京での開催ですが、お近くの方はぜひどうぞ。70点ほどの電子書籍が販売されるそうです。
日時 2010年7月17日(土曜日) 10:00〜20:00
月
07
6月
2010
近年の児童書に見られる「主人公のお姫さま化」について
以前、ゆーずー無碍さんのブログで「ライトノベル化する児童文学」という記事が立てられ、話題になりました。
新書サイズ児童書の分野で、マンガ・アニメ系のイラストを起用した「ライトノベル風」の作品が数多く刊行され出したといった内容のものです。
近年では完全に定着したように思われるこの流れですが、記事のなかで問題とされていたのは、下記の三点。
・一体いつ頃からこの変化がはじまったのか?
・この傾向は、単にイラストを今風に合わせただけなのか?内容は?
・どういった出版社が動いているのか?
そのうち上下の疑問に関しては2004年ごろを契機に「青い鳥文庫」や「フォア文庫」といった老舗レーベルが牽引役となり、他の出版社がその流れに追随したと記事でまとめられています。
が、作品内容については、「皆様が実際に読んでみて判断してください」という記述に留められていました。
では実際、作品内容に変化はあったのでしょうか?
記事のなかで、ライトノベル化した作品として真っ先にあげられ、現在でもトップの人気作であるのが、「妖界ナビ・ルナ」「若おかみは小学生!」「黒魔女さんが通る!!」の三作品であることは異論がないところでしょう。
これらの作品は、イラストとキャラクター設定がマンガ・アニメ的な「キャラクター小説=ライトノベル」と形容できる作風であることはもちろんのこと、そのほかにもう一つ、それまでの児童文学とはおもむきの違う「ライトノベル的」と言える特徴を指摘できます。
児童文学のひとつの潮流として、かつての少年探偵、ズッコケシリーズのように「みんなで一緒に事件をする」という作劇は、ながらくエンタメ児童書のトレンドであり続け人気を博してきました。
実際、ライトノベル化黎明期の青い鳥文庫やフォア文庫でも、「タイムスリップ探偵団」や「マリア探偵社」などの作品ではこの構造を採用していますし、同一構造の作品は現在でも数多く存在します。
が、近年特に人気を得ている「ナビ・ルナ」、「若おかみ」、「黒魔女さん」ではそれらの作品とは異なり、「事件を解決する私をみんなが助けてくれる」という構造が採られているのです。
上記の三作品では、
主人公の女の子に人外の友だちが複数人いて、さまざまな理由で主人公だけを特別扱いする
このような特権的な位置に主人公が置かれる、という共通の特徴があります。
かつての児童文学作品では、友だち同士で協力し合うことはあっても、お互いの関係性は横並びで「主人公だけ特別に周りからちやほやされる」という構図はあまり見当たりません。
これが私が呼ぶところの、児童書における「主人公のお姫さま化」という状況になります。
実はこの構図、ライトノベルでは定番の「主人公とヒロインの関係」に酷似しています。
ナビ・ルナあたりのヒットを起点に、児童書がライトノベル化したと言われていますが、構造レベルでもこういう図式をもった児童書が増え、より支持を受けているように感じられます。
つまり、「みんなで一緒に」から「友だちを独占したい」に児童書のトレンドに変化が生じたんじゃないかと考えられるわけです。
加えて、「お姫さま化」した作品には、その構図の裏返しとして、
友だちが自分以外の人間に関心を示したときや、自分から関心が離れたとき、主人公が焦燥感を抱く
というエピソードがまま見受けられます。
若おかみの場合、物語序盤のウリ坊は主人公であるおっこより、おばあちゃんである峰子ちゃんの方が大事であるような描かれ方がされていて、「ウリ坊にとって自分は二番目」という状況を、おっこは事あるごとに気にかけていました。
また、「黒魔女さんのシンデレラ」の回、四級試験の最中、悪魔情に渡された手紙でギュービットが自分のインストラクターを外されたと知ったチョコは、カボチャを蹴飛ばすほど周囲にあたりちらし、ギュービットが自分のインストラクターをやめないと知るや、涙を流して大喜びします。
さらに、「お姫さま化」とは異なりますが、これらの作品に次ぐヒット作の「IQ探偵ムー」でも、視点人物である元は、ヒロイン夢羽の関心がだれにむけられているかで一喜一憂します。
おっこと元の場合は、恋愛感情がほのめかされていますが、読者の視点に立って考えれば、「友だちには私だけをみてほしい」という願望が投影されているんじゃないかと推測できます。
それが証拠ではありませんが、ナビ・ルナシリーズと同じ池田先生の作品に「摩訶不思議ネコ・ムスビ」シリーズがあります。
本作の一巻でも、「友だちの関心が自分以外に向いている」ことで不快感を示す、というエピソードが描かれていますが、そのことを問題にしていたのは主人公であるいつみではなく、友だちの莉々の側だったりします。
ムスビシリーズは、キャラクター配置こそナビ・ルナと似ていますが、読者の願望充足という観点でみると、「お姫さま化」やそれにともなう「友だちの独占」という欲求には応えていない節があります。
以前、青い鳥文庫で行われた人気投票で、本作はそれほど上位にランキングされていなかった記憶がありますが、ポイントはやはり「読者の願望の在り処」にあったんじゃないでしょうか。
それでは、なぜ読者の関心がこのように変化したのか?
理由はさまざま考えられますが、異なるジャンル、違った読者層にも関わらず、ライトノベルと児童書で「同じ構造を持った作品」が受けているわけですから、やはり時代的な影響が大きいんじゃないかと推測できます。
現在の若者は友だち同士の繋がりを気にして関係性が強迫的になり、コミュニケーションが大きな関心事であるという話は良く聞きます。
であれば、主人公が特別扱いされ、周りにちやほやされるような作品に心地よさを感じるというのは、そのような現実の裏返しとして、道理に適っているように思います。また、小説という媒体に接する読者には、嗜好に何らかの共通性があるとも考えられます。
これが「お姫さま化」した作品が現在の児童書読者に支持される理由なんじゃないでしょうか。
つまるところ、児童書における「お姫さま化=ライトノベル化」の本質とは、イラストとキャラクター設定以上に、他者や周囲との関係の描き方なんじゃないかと、これらの状況から窺えるわけです。
(すがり)

